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文京区の街情報

その他お役立ち・奔流の作家 樋口一葉の菊坂旧居跡

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その他お役立ち・奔流の作家 樋口一葉の菊坂旧居跡

東京都文京区本郷4-32-31

街情報 著名人 史跡 一葉 5000円札の人

一葉の旧居は、単車が通るたびに、身をかわすのが難しいような細い菊坂下町の路地。本郷4丁目の31番と32番の表示のある間の露地を入る。
菊坂でも一番低い「菊坂下町」と呼ばれたところである。
奥に行くと、「猫の額ほどの」と添えた方がいいかもしれない。
そんな場所に共同ポンプ井戸がある。
当時はつるべ井戸であったが、一葉も使ったものという。
四、五軒の家屋に囲まれ、井戸端は小さな広場のようになっていた。井戸にばかり気をとられていたけれど、路地の一番奥には土地の傾斜に沿うように三階建ての木造家屋が向かい合って二棟立っている。二軒の間には石段があり、それを上ったところに屋根付きの門(冠木門)がある。井戸端からだと見上げる格好になる。このあたりには木造三階建ては珍しくなかったのかもしれない。その三階建てには独特の味わいがある。立ち去りがたい空気があたりに立ちこめていた。それはまさに、明治・大正の生き様が声を掛けてくるような路地であったからであろう。一葉の人生はまさに、奔流と言える。そんな一番濃い時代がこの家で過ごされた。幼年期から、終焉まで本郷は一葉にとって離れられない場所だった。そこには、今でもひたむきな一葉の姿が浮かんでくる。
生涯
1872年5月2日(明治5年3月25日)、東京府第二大区一小区内幸町の東京府庁構内(現在の東京都千代田区)の長屋で、樋口為之助(則義)、古屋家の娘多喜(あやめ)の第五子、二女として生まれる。姉ふじ、兄に泉太郎、虎之助がおり、後に妹くにが生れた。
一葉は、生涯に何回も転居を繰り返すが、この菊坂への転居は明治23年(1890)9月、父の死後母妹と共に一葉、18歳のときである。明治26年7月2日、下谷竜泉寺町に転居するまで、ここに住んだ。
しかし、ここ菊坂の住まいも母と虎之助の折り合いが悪く、3年に満たない期間だった。しかし、生涯25年のうちに12回に亘る転居を繰り返した一葉の人生のなかでは長かったほうだ。
1896年4月頃から体に異常が起こり、8月に診断を受けたが絶望と診断された。結局11月23日に肺結核のため25歳で死去。14か月という短い作家生活であった。
 菊坂に越してきた頃、一葉は母の反対を押し切って、父が入れた私塾「萩の舎」(はぎのや)に通っていた。しかし、父なき後、一葉が戸主となり、和服の仕立てや洗い張りで生計を立てる状況で、生活は苦しかった。当時の家は、現況と違って、庭のある一戸建てであった。母はこの庭で茄子の苗を育てて、萩の舎の師匠歌子に届けている。(明治24年10月9日の日記) 

樋口一葉の菊坂旧居跡

おおまかに追う一葉の生涯。
少女時代までは恵まれた家庭で、子供時代から読書を好み草双紙の類いを読み、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を7歳の時に読破したと伝えられる。1877年、本郷小学校に入るが、幼少のために続かず、吉川富吉が始めた私立吉川学校に入学した。1881年、次兄虎之助が素行が修まらないために分籍。下谷区御徒町へ移ったため、十一月に上野元黒門町の私立青海学校に転校。高等科第四級を首席で卒業するも、上級に進まずに退学した。これは母・多喜が、女性に学業は不要だと考えていたからだという。
一方、父・則義は娘の文才を見抜き、知人の和田重雄のもとで和歌を習わせた。1886年(明治19)、父の旧幕時代の知人である遠田澄庵の紹介で、中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門。ここでは歌のほか、古典を学ぶ。一葉の家庭は転居が多く、短い生涯に12回の引っ越しをした。16歳で、将来を期待された兄泉太郎を亡くし、父は事業に失敗して病死したため、1890年(明治23)に17歳にして戸主になる。その後、本郷菊坂(東京都文京区)に移り母と妹と三人での針仕事や洗い張りをするなど苦しい生活を強いられる。ただし一葉自身は労働に対する蔑視が強く、針仕事や洗い張りはもっぱら母や妹がこなしていたとも言われる。
同門の姉弟子である田辺花圃が小説『薮の鶯』で多額の原稿料を得たのを知り、小説を書こうと決意する。20歳で「かれ尾花一もと」を執筆。同年に執筆した随想で「一葉」の筆名を初めて使用した。さらに小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水(なからいとうすい)に師事し、図書館に通い詰めながら処女小説「闇桜」を桃水主宰の雑誌「武蔵野」の創刊号に発表した。その後も、桃水は困窮した生活を送る一葉の面倒を見続ける。次第に、一葉は桃水に恋慕の感情を持つようになる。しかし二人の仲の醜聞が広まったため、桃水とけじめをつけるかのように全く異なる幸田露伴風の理想主義的な小説『うもれ木』を刊行。皮肉にもそれが一葉の出世作となる。
ヨーロッパ文学に精通した島崎藤村や平田禿木などと知り合い自然主義文学に触れあった一葉は、「雪の日」など複数作品を「文學界」で発表。このころ、検事になったかつての許婚者阪本三郎(「坂本」とも)が求婚してくるが拒否。生活苦打開のため、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いたが半年後には閉店。この時の経験が後に世間によく知られるようになる小説「たけくらべ」の題材となっている。本郷区丸山福山町(現在の西片一丁目)に転居して執筆を継続した。1894年12月に「大つごもり」を「文學界」に、翌年には「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、鴎外、露伴らから絶賛を受ける。森鴎外は「めさまし草」で一葉を高く評価している。また、「文学界」の同人も多く訪れるようになった。
しかし、1896年に肺結核のため25歳で死去。


墓は築地本願寺別院、のち杉並区和泉に移された。法名は知相院釈妙葉信女。

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